SFとはサイエンス・フィクションの略称である。「サイエンス・フィクション」という名前を生み出したのは、世界初のSF雑誌『アメージング・ストーリーズ』の初代編集長ヒューゴー・ガーンズバックである。(彼はサイエンティフィクション(Scientifiction、Scientific+Fiction)」と呼ぶことを好んだ。)
サイエンス・フィクションの定義は、幅広いサブジャンルとテーマを含むために困難である。かぐや姫もSFと言えばSFであるといえる。
しかしここではロバート・A・ハインラインの発言を引用し、ここに乗っ取ったSFを紹介したい。ロバート・A・ハインラインは、
「読むことのできる大半のサイエンス・フィクションの手軽で簡潔な定義は、過去や現在の現実社会や、科学的手法の性質と重要性の十分な知識に基づいた、可能な未来の出来事に関する現実的な推測」と述べた。
(余談ではあるが、藤子不二雄は、SFを「すこしフシギ」とあらわした。)
私は、SFの多くに、未来を考える鍵があると思っている。ディズニーランドのアトラクションである海底二万マイルを例に挙げたい。このアトラクションは1870年に発表した海底二万マイルという冒険小説から引用されている。この本は潜水艦ノーチラス号を中心として展開される物語であるが、この本が発売していた当時、潜水艦は研究されてはいたものの十分な性能は持ち合わせていなかった。しかし、第二次大戦時の1940年頃には潜水艦は太平洋、大西洋を横断できる性能を持つこととなった。一例を挙げたにすぎないが、SFは(機械的な仕組みに関しては正確性に欠けるものの)一歩先の未来を孕んでいるのである。
では、この先の未来を形作るかもしれないSFを紹介したい。
士郎正宗原作の攻殻機動隊シリーズである。
攻殻機動隊は、人間の脳とネットワークが直接接続され、義体化(サイボーグ化)が一般化した社会で、公安警察の特殊部隊 「公安9課(通称:攻殻機動隊)」 がサイバー犯罪やテロに立ち向かう物語である。この物語では多くの科学技術が取り上げられているが、ここでは未来に発生すると思われる哲学的問題のみ取り上げたい。
テセウスの船という言葉を知っているだろうか?
テセウスの船とは船の部品を1つずつ新しいものに交換していき、最終的にすべての部品が入れ替わったとき、その船は「同じ船」と言えるのか?という思考実験を指す言葉である。攻殻機動隊の世界で、主人公たちはサイボーグ化してサイバー犯罪に対応している。機械化する身体を感じながら自身は人間であるといえるのか。また、人間の脳と莫大なネットワークが接続することによる自己の希薄化によって自分の存在は消失するのか。この問題に主人公たちは直面していく。
では、現代に話を戻したい。現在、多くの人間がアイデンティティを消失していないだろうか?SNSを見れば自分より性能が上な人間がいるのを瞬時に認識させられる。その中でアイデンティティを持つことは困難であろう。攻殻機動隊はこの様な社会が来ることを明示しているのではないだろうか?
攻殻機動隊の主人公は最終的に自己という境界線を捨て、ネットの中で生きるといういわば新たな生命体になるというラストで幕を下ろしており、明確な自己消失の対処は描かれていない。SFはこの様なことが多く、設定は細かいもののそのような状況の中での対処については明記されていない。よって、自分自身で考えていく必要性がある。


